創業77年特別企画Ⅰ 「曽祖父、祖父」 ~創業の時代~
2009年 03月 01日
皆さん、こんにちは、センムのほうです。
3月になりましたね~♪
もう春、啓蟄の時期ですね。
虫といえば、母が「亡くなった爺さん(祖父・会長)は、春になると虫が涌いてくるらしく、何事にもイライラして
ガサガサゴソゴソ落ち着かなくなっていた。あんたも爺さんに似てるから、木の芽時(春)には気をつけなさい」
と言っておりました。目つきまで変わっていたそうです(笑)。
そういえば、春が近づいてきた今日この頃、僕もなんか根拠もなくイライラしてましたね(特に先週)(笑)。
気をつけようっと。
今年は、曽祖父が家業を始めてから、創業77年。
以前好評でした弊社の歴史をリニューアルしてみました。
なつかし写真とともに、ちょっと当社がどんな変遷をしてきたのかご覧くださいね。
「この会社ずっと前からあるけど、昔どんなんやったっけ?」と思ってらっしゃる
ご近所の方も「あぁこんなんやったなぁ」とお楽しみくださいませ。
まぁこのへんが、尼崎モーターのルーツになるのでしょうなぁ。
明治32(1899)年、ニューヨークタイムズ紙の社説において、
はじめて「自動車(automobile)」という単語が使用されたこの年、
当時15才の私の曽祖父、原井良太郎は、南海鐡道(現、南海電気鉄道)の
駅員見習になったようです。
その後、輸入され始めた蒸気バスの運転士となり、操作方法を知る整備士兼運転士ということで、車両とともに四国の琴平にまで渡ったそうです。
近畿へ帰ってからは、習得した修繕技術をもとに、大阪の池田、次いで川西の小花にて
当時はほとんどなかった輸入車や三輪バイクの修理を始めました。
社名は当社の前身、日進モータース。
昭和7(1932)年4月、この家業の日進モータースで手伝い始めたのが、
当時14才の私の祖父、原井修でした。
当社の創業はここから始まりますが、実際はもっとかなり前でしょうな。
このあたりの話は、祖父が書きまとめたものが保管してあるので、のちのちお話ししたいと
思っています。
彼が曽祖父、良太郎さんです。車と写っているのがポイントですね。
途中戦争となり祖父も昭和14~20年まで兵役についていました。
終戦後の昭和21(1946)年9月には、小型自動車修理 日進工作所を開業。
昭和25(1950)年6月に、株式会社尼崎モーターは設立されました。
設立当初はご覧のように、バイクを扱っておりますね。
祖父です。
これは、当社の真ん中の工場を組み立てているところです。今もありますよ。古いですなぁ。
この改築した2階をパプリカ神戸(カローラ神戸の前身)に貸していたそうです。
下の写真にその文字が見えますね。
私は歴史や物語の類いがとても好きでして、小さいときからいろいろと祖父に聞かせてもらった覚えがありますし、戦争に行ったときの写真を見せてもらった記憶があるのですが(そういうときは必ずレモンティーを飲ませてくれるのです)、
話してくれるのは、曽祖父の良太郎さんの話がメインで、私が大きくなってからも、
設立当初の話などはほとんど話してくれませんでした。台風になると庄下川が溢れて
一帯水浸しになった話ぐらいだったでしょうか。
子供の頃の母の話などを聞くと、常々機嫌が悪かったらしく苦虫を噛んだような顔を
していたそうなのでいろいろと辛いことがあったのでしょうね。
いまでも祖父の机のあった場所から真正面に見えるところに
アメリカの詩人サミュエル・ウルマンの詩「青春」の要約が掲げられています
(整備工場には不釣合いですが)
『人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。』
このあたりに祖父の思考の謎を解く鍵があるのかもしれません。
祖父(会長)は一昨年亡くなりましたが、最後まで会社のことを気にかけていました。
祖父の意思を尊重すべく今日も真摯に仕事に取り組みます。
社長個人ブログはアメーバブログ(アメブロ)の方にも構築中です。
こちらにも遊びにきてくださいね。
http://ameblo.jp/amagasakimotor
尼崎モーターのホームページはこちらです。
http://www.amagasakimotor.com/index.html
3月になりましたね~♪
もう春、啓蟄の時期ですね。
虫といえば、母が「亡くなった爺さん(祖父・会長)は、春になると虫が涌いてくるらしく、何事にもイライラして
ガサガサゴソゴソ落ち着かなくなっていた。あんたも爺さんに似てるから、木の芽時(春)には気をつけなさい」
と言っておりました。目つきまで変わっていたそうです(笑)。
そういえば、春が近づいてきた今日この頃、僕もなんか根拠もなくイライラしてましたね(特に先週)(笑)。
気をつけようっと。
今年は、曽祖父が家業を始めてから、創業77年。
以前好評でした弊社の歴史をリニューアルしてみました。
なつかし写真とともに、ちょっと当社がどんな変遷をしてきたのかご覧くださいね。
「この会社ずっと前からあるけど、昔どんなんやったっけ?」と思ってらっしゃる
ご近所の方も「あぁこんなんやったなぁ」とお楽しみくださいませ。
まぁこのへんが、尼崎モーターのルーツになるのでしょうなぁ。
明治32(1899)年、ニューヨークタイムズ紙の社説において、
はじめて「自動車(automobile)」という単語が使用されたこの年、
当時15才の私の曽祖父、原井良太郎は、南海鐡道(現、南海電気鉄道)の
駅員見習になったようです。
その後、輸入され始めた蒸気バスの運転士となり、操作方法を知る整備士兼運転士ということで、車両とともに四国の琴平にまで渡ったそうです。
近畿へ帰ってからは、習得した修繕技術をもとに、大阪の池田、次いで川西の小花にて
当時はほとんどなかった輸入車や三輪バイクの修理を始めました。
社名は当社の前身、日進モータース。
昭和7(1932)年4月、この家業の日進モータースで手伝い始めたのが、
当時14才の私の祖父、原井修でした。
当社の創業はここから始まりますが、実際はもっとかなり前でしょうな。
このあたりの話は、祖父が書きまとめたものが保管してあるので、のちのちお話ししたいと
思っています。
彼が曽祖父、良太郎さんです。車と写っているのがポイントですね。
途中戦争となり祖父も昭和14~20年まで兵役についていました。
終戦後の昭和21(1946)年9月には、小型自動車修理 日進工作所を開業。
昭和25(1950)年6月に、株式会社尼崎モーターは設立されました。
設立当初はご覧のように、バイクを扱っておりますね。
祖父です。
これは、当社の真ん中の工場を組み立てているところです。今もありますよ。古いですなぁ。
この改築した2階をパプリカ神戸(カローラ神戸の前身)に貸していたそうです。
下の写真にその文字が見えますね。
私は歴史や物語の類いがとても好きでして、小さいときからいろいろと祖父に聞かせてもらった覚えがありますし、戦争に行ったときの写真を見せてもらった記憶があるのですが(そういうときは必ずレモンティーを飲ませてくれるのです)、
話してくれるのは、曽祖父の良太郎さんの話がメインで、私が大きくなってからも、
設立当初の話などはほとんど話してくれませんでした。台風になると庄下川が溢れて
一帯水浸しになった話ぐらいだったでしょうか。
子供の頃の母の話などを聞くと、常々機嫌が悪かったらしく苦虫を噛んだような顔を
していたそうなのでいろいろと辛いことがあったのでしょうね。
いまでも祖父の机のあった場所から真正面に見えるところに
アメリカの詩人サミュエル・ウルマンの詩「青春」の要約が掲げられています
(整備工場には不釣合いですが)
『人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。』
このあたりに祖父の思考の謎を解く鍵があるのかもしれません。
祖父(会長)は一昨年亡くなりましたが、最後まで会社のことを気にかけていました。
祖父の意思を尊重すべく今日も真摯に仕事に取り組みます。
社長個人ブログはアメーバブログ(アメブロ)の方にも構築中です。
こちらにも遊びにきてくださいね。
http://ameblo.jp/amagasakimotor
尼崎モーターのホームページはこちらです。
http://www.amagasakimotor.com/index.html
by amagasakimotor
| 2009-03-01 12:11
| 尼崎モーターの歴史